川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
エッセー  旅  たわごと    雑感 出版紹介 



                 南天の里 



    大阪と和歌山の県境に、「天見」という何とも素敵な地名の里がある。
    冬ともなれば真っ赤な実をつけた南天が、里を彩る。
    別名、南天の里とも呼ばれている。
    民家の庭先は言うに及ばず、駅舎からの道沿い、石垣の隙間、川の斜面……、至る所である。
    冬の日差しに赤い実が光って、まるでルビーか珊瑚。

    天見駅から赤い実を辿って緩やかな上り坂を15分ほど行くと、やがて朱色の橋が
    見えてきた。目指す「流谷八幡宮」だ。
    天見といい流谷といい、なんと素敵な地名だろう。
    小さな立て看板には、「竹のたわ」という地名も書かれている。
    地名にはその地の歴史や文化、姿が伺える。
    床しい人々のすむ里なのだろうと、ひとり合点をする。

    小高い山が屏風のように里を覆い、山の麓から煙が上がっている。
    田圃を焼いているのだろう。
    隠れキリシタンの里の面影が今も残っているような気がするのは、私の感傷だろうか。
   


    1月5日。
    清々しい気持ちに浸りたい私は、流谷八幡宮で行われる「勧請縄かけ」神事を訪ねた。
    かつてこの辺りは甲斐荘と呼ばれ、石清水八幡宮の荘園があったそうだ。
    1039年の1月6日に石清水八幡宮より八幡神を勧請し社殿を造営したのが、
    流谷八幡宮の起源だ。
    その日を記念し、60〜70mの大注連縄が掛けられるようになったと言う。
    (近年は、1月6日に近い日曜日に神事が行われるようになったが、時代の要求と
    いうものだろう)
    
    注連縄は天見川を渡り、勧請杉と対岸の古木の柿の木の根元に巻き付けられる。
    朱色の橋から川面まで何メートルあるのだろう、川面ははるか下だ。
    風の通り道なのか、痛いほど冷え切った空気が頬を刺す。
    だが冷気は厳かな神事に相応しい。

    午後1時、勧請縄掛かけは始まった。
    私のように物好きな人が、ちらほらと見える。
    まず神社側の柿の木に縄が巻かれる。急斜面な川の土手に足を取られながら、数人の
    老人たちが太い縄を手にし、渾身の力を込めて、巻き上げる。
    そして注連縄に何カ所かロープを結わえ、それを橋の上で何人かが持ち、対岸に渡す。
    この工程が一番大変なように見えた。
    大声をあげ、すったもんだのあげく、大注連縄は対岸に渡り、勧請杉にグルグルと結わえ
    られた。
    注連縄には12本の榊の束が垂れている。
    天見川から吹き上げる風に、榊と白い紙垂(しで)が舞っている。
    古老たちの顔には汗が光っていた。
    
    この注連縄は流谷と天見を分ける結界の意味があり、疫病や忌穢れがお互いの村に入り
    込まないようにしたそうだ。
    また、注連縄が長く保てば保つほど豊作になると言われている。
    吉凶を占う注連縄でもあるのだ。
    勧請杉のはるか下方には、切れて茶色く変色した古い注連縄が、とぐろを巻いた大蛇のように
    丸まっていた。
    「去年の綱は、いつ頃切れたんだろう。今年は切れずに長持ちするといいなあ……」

    寒風にさらされながら古老たちによって守り継がれるこの行事に、私は襟を正さずには
    いられない。
    さて、今年、私は何に結界の注連縄をはろうかと、自分に問うたひと時でもあった。

   



   
               2020・1・5